
アメシストがダイヤモンドと同等に扱われていたって知っていますか?
今でこそ「身近な紫色の石」ですが、歴史をさかのぼると、その立ち位置は現代とは比べものにならないほど高いものでした。
今回は、
アメシストがかつてどのような評価を得ていたのか、どのようにして身近な石となったのかをご紹介いたします。

そもそも「紫色」が希少だった
理由は自然界における「紫」という色の希少性にあります。 宝石に限らず、染料として紫を調達することも作ることも非常に難しく、限られた量しか手に入りませんでした。
1万個の貝から1グラムの染料

古代地中海で珍重された「貝紫」は、特定の巻貝の分泌物が原料でした。わずか1グラムの染料に1万個以上の貝が必要で、当時の紫の布地は「同重量の金」よりも高く取引されていました。
日本の紫のルーツ「ムラサキ(紫根)」は環境変化に弱く、栽培が困難でした。鮮やかな色を出すには大量の根を使い、何度も染め重ねる必要があるため、最高位の官位(冠位十二階など)にのみ許される特別な色となりました。

このように「紫」は世界的にとても希少な色でした。
そのため、共通して紫=特別な人が身に着けるものという象徴になったようです。
そして1856年に偶然から世界初の化学染料(モーヴ)が発明されてから、徐々に一般化することになります。
五大宝石「Cardinal gems」の一角

18世紀から19世紀半ばにかけて、
アメシストはダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドと並び、貴石のひとつに数えられていました。
当時はロシアのウラル山脈やドイツなど、ごく限られた場所でしか産出されなかったため、王族や高僧など、最高位の権力者しか手にすることができない超高価な宝石だったのです。
アメシストの需要に対して供給があまりに少なかったため、18世紀のフランスなどでは、ガラスを染めた「偽物のアメシスト」が横行し、貴族の間で高値で取引されるほどでした。 また、当時のジュエリーセットにおいて、アメシストのセットはダイヤモンドのセットに次ぐ「正装」として扱われており、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌも豪華なアメシストのジュエリーを愛用していたことが記録に残っています。

フォンテーヌブロー国立城美術館, Public domain, via Wikimedia Commons
19世紀、ブラジルでの大発見

アメシストの運命を変えたのは、19世紀後半のブラジルでの大規模な鉱床発見でした。 それまでの希少性が一変し、市場に多くの石が供給されるようになったことで、アメシストは「半貴石」へと分類が変わりました。
当時の宝石商たちにとってダイヤモンドの価値が暴落するほどの衝撃だったようです。
実際、この発見により価格は劇的に下がりましたが、それによって「一部の特権階級だけのもの」だった高貴な紫が、初めて一般の人々の手に渡るようになったのです。私たちが今日、この美しい紫を手にできるのは、この歴史的な「大暴落」という奇跡のおかげとも言えます。
このように聞くと手元のアメシストがより輝いて見えますね!
かつての偉人たちが重宝したアメシストのきらめきを、いま私たちはリーズナブルに楽しめています。


